2021年7月:小山田圭吾と小林賢太郎と辞任と解任
小林賢太郎氏のオリンピック開会式と閉会式での演出ディレクター解任のニュースを受けて。
えー、これ、小山田圭吾と同じ扱いにされてるの?
ユダヤ系人権団体からの抗議があったから音速で謝ったってことでいいの?
ワードチョイスを誤ったことと、障害者に対する暴行・虐待が同じレベルで語られるの?
諸々思ったことがあるけど、そもそも日本語の理解力すら玉石混交(自分も含めて)のネットでこの問題の議論というか色んなやりとりを見てても疲弊と絶望が広がるだけなのかも知れない。
どこかのネット論客や有名人、芸能人が自分に近しい考えを述べたものをリツイートするだけで満足している場合ではないなと思いつつ、かといって自分の考えをうまくまとめあげることもできないので、ここで愚痴なんだか独り言なんだかどっちもなのかわからないものをつらつら書いている。
・小山田圭吾の辞任は妥当
・小林賢太郎の解任は妥当ではない。というか小林賢太郎側から願い下げって言ってやれとすら思う。
上の考えって、そんなにおかしいことだろうか?
色んな層の色んな人たちに幅広くアンケートを取って聞いてみたい。
「小山田圭吾と小林賢太郎って同じようなことをやったと思います??」と。
小林賢太郎が悪いところがあったとすれば、「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」というワードがコントの文脈と切り離されたとしても許されないようなワードであることに思い至らなかったってことだろうけど、それさぁ、無理じゃない?と思ってしまう。
いや、それでもダメなものはダメだと言われれば、あ、そうですね。はい。わかりました。って言うしかないんだよな、今は。
あー、わかりました。そうですね。
これ以降のオリパラでも、「文脈を無視してそれがどんなに過去のことであっても“NGワード”を一切発言したことのない人間」しか運営や演出、音楽に関わってないってことですね。
はー、了解了解。
これは次回以降のオリンピックでも絶対に忘れないからな。
絶対に。
以上